鳥海修の文字塾 第1回(2013-10-20)についてのメモ書き(前半)。
鳥海 修(とりのうみ・おさむ)さんをご存知でしょうか。
(有)字游工房(じゆうこうぼう)でヒラギノシリーズなどの書体を作っておられる方です。
ヒラギノ明朝、ヒラギノ角ゴシックなどのヒラギノシリーズは、Mac OS Xに標準搭載され、画面表示などに使われている書体です。つまり、Macユーザであれば、鳥海さんの作品を毎日のように目にしているということですね。
さらに、字游工房で作られた「游明朝体」「游ゴシック体」が、先ごろ発売されたWindows 8.1やOS X Mavericksに、ほぼ時を同じくしてバンドルされました。
つまりは、今後はMacユーザのみならず、日本語環境下でパソコンを使ってる人のほとんどすべてが鳥海さんの作品に接することになっていく、ということです。すごい!
僕が働いている大阪で、そんな鳥海さんの文字に対する想いや考え方に触れることができる文字塾が、「大阪DTPの勉強部屋」主催で3回にわたって開催されています。やったー!
というわけで、10月20日、その第1回に参加してきましたので……て、もう1ヵ月も前のことになっちゃいますが、めげずに簡単なレポート……というかメモ書きを、鳥海さんの言葉の引用を中心にお届けします。
【注】 本人にも読めないきちゃない手書きメモを起こしたものです。加えて、そもそもの理解度が低い、ものすごーく頭の悪い人間が書いてます。本人としては真面目に書いてるつもりですが、内容についてはあまり信用してはいけません。ご了承くださいまし。
では、どぞー。
鳥海 修の文字塾 第1回『活字を作るということ』
●前説?
遅刻される方が何人かおられたので、10分ほど押しての開始となりました。その時間を利用して(?)ちょっとした雑談コーナー。
「大阪でこういう会をやるのは初めて。
京都の精華大学で5年くらい講師をしてますけど、学生はみんな嫌がってます。面白がってくれてるのは3人くらい。
エネルギー取られちゃうんですよね、聞きたくないオーラを出されると。
皆さん…………わかりますよね?」
大拍手(笑)。
「今回の会は、3時間半を3回。ちょっと辛いです。文学者の人なんかでも、せいぜい30分くらいなのにねぇ……」
といったボヤキも交えつつ、スタートです。
●自己紹介
スクリーンに山の写真が映し出されました。美しい風景(写真撮り忘れた! 痛恨!)
「山形の鳥海山(ちょうかいざん)です。この中腹あたりに住んでました。
毎日石段を500段くらい降りて自転車で通うという生活。
庄内平野は、映画『おくりびと』の舞台です。チェロを弾くシーンのバックが俺んち。
……『俺んち』って言っちゃったけど(笑)、このへんの人は境界の意識が薄いんですよね。
この風景、あんまり知られたくないんですよ。て、今見せてるんですけど(笑)。
この風景の影響を強く受けています。余計なもののない風景」
平成元年にできた字游工房。
「これまでに100書体くらい作りました。
(OpenTypeだと)1書体あたり2万3千字、最低でも1万字あります。つまり、最低でも100万字くらい作ってきたことになります。
税務署に行くと、こういう会社で作っているものはネジと同じだって言われた。でも、ネジは大量生産できるでしょう。フォントは、2万3千字すべて違う。毎日違う文字を作ってるんです。
3万字で3万円と考えると、1文字あたり1円。買って! ホントに(笑)」
クライアントは20社くらい。大日本スクリーン、シャチハタ、ブラザー、キヤノン、朝日新聞社、大日本印刷、凸版印刷など。他に、バンドル先として、AppleやMicrosoft。
「本文(ほんもん)用の書体、小さな文字を作るのを得意にしています。
東京で文字塾をやっていて、生徒が15人くらい。大阪でも分科会をやっています。
そして、さっきも言った精華大学」
ツイッターでやっている『京都の文字シリーズ』のことも。
「看板やのれんの写真を撮って、その感想みたいなものをつぶやいています。
京都はすごい! 古い店、いい看板がいっぱいあるんです。日本がかつて持っていた大事なものがある。
他の都市の文字と比較もしてみたい」
「京都の文字」は有志の方々がtogetterでまとめられています。必見かも。
→ 鳥海さんによる「京都の文字」 - Togetter
●金属活字・写植・ビットマップフォント・アウトラインフォント。
「活字っていうと金属活字を思い浮かべると思うんですけど、写植なんかも活字です」
「金属活字というのは、1サイズ(しかない)。小さな文字には小さな活字。リアルなんです。
組むときも、たとえば『の』という字が10回出てきたら、活字は10個必要になる。
活字は鉛でできているので、今では新しい工場は作ることができないんです」
「写植は、文字をレンズで拡大できる。
オフセット印刷と金属活字は組み合わせるのが難しい。
写植は印画紙に焼き付けるもので、オフセットに向いているということで、すごく広がりました」
「ビットマップフォントは、ガラケーなんかに使われていますね。
もとは、ワープロ専用機に使われ始めました。知ってます? ワープロ専用機。
これも、活字同様、サイズごとに作る必要がありました」
「そして出てきたのが、アウトラインフォント。
最初期に作られた『平成明朝』というのはどうやってできたのか、知ってます?
外国でポストスクリプト・フォントという技術が出てきた。
日本でも、ワープロを作っているOAメーカーがフォントを探したんですが、ない。
では、既存の書体を買っちゃえば? ということになって、写研、モリサワ、リョービなどに頼んでみたんですが、断られてしまう。
で、通産省が音頭をとってメーカー等が金を出し合って、コンペで新しい書体を作ることになりました。すごい金が集まったんです。
写研でも、応募するという話が朝礼で出たりしたんですが、結局はしなかった。
結果的には、リョービが作ったものが平成明朝として採用されたんですが、デザインについては、いろいろな条件がありました。
300dpi以下できちんと読めること。FAXで流したときに読めること。
で、線が単純化されてしまった。たとえば、線がまっすぐになっているとか、端っこが丸くならず、スッパリ切ったようになっている、等々。
ちょっと機械的な感じになっています。ポスターなんかにはちょっと使えない」
●用語の説明など
「骨格の違いが字体です。
下が短いのが『士』で、長いのが『土』。こういう違い」
「『包摂(ほうせつ)』というものがあります。今はあるようなないような感じになっているけれど。
たとえば『分』という字の一番上の部分、ここに屋根(はちやね、といいます)があってもなくても『分』になる。
これを『包摂されている』といいます」
「では『はちやね』がなぜ付いたのか。
右払いの最初の部分というのは、細くはならないはず。
手で(筆で)書いてみるとすぐわかることですが、書きはじめの部分には力が入って太くなるはず。すっと細くなっているのは不自然です。
そこで、そういう不自然さを解消しようと屋根がついた。また、これによって、上の部分のバランスも良くなりました」
「しかし、小学生の親は、こういう処理を許さない。習った文字と違うじゃないか! と言われてしまうんです。
こうして、明朝体はどんどん形を変えて行くことになる。
他にも『しんにょう』なども、左側がくねくねしないと『しんにょう』じゃない! と言われる。
なので、学参用の明朝体ではそのようになっている」
「文字を作る人にとってはアホらしいことだけど。
教科書を作る会社が、教科書を選ぶ人へのアプローチとして『子供たちが習う通りの文字になってますよ』みたいなことを言って、それが採択されてしまう。
で、僕たちも作ったり(笑)。しょうがないんですよ……」
●字形なのか、書体なのか、フォントなのか。
「最近はフォントと言われるのにも慣れちゃったけど、本来は文字セットのことをフォントといいます。
フォントの種類には、Std(aj 1-3)、Pro(aj1-41-5)、Pr6(aj1-6)、Pr6N(aj1-6(JIS0213対応))などがあります。
Pr6Nというのは、新JISに対応したもの。たとえば『葛』などの字は違う形のものが出てきますが、中に入っている文字は同じです」
●OpenTypeになって文字が増えてきて、困った文字のことなど。
「『か』『き』『く』に丸(半濁音)がついたものは、鼻濁音。NHKのアナウンサーなどが使います。
小さい『ケ』『シ』『ス』などは、アイヌ語のためのものです。
数学記号は困りました。大きさにしても、数字と合わせるべきなのかどうか、Adobeに問い合わせても、答えは返ってこない。しかたないんだけど」
「文字の上の部分と下の部分がくっつくか離れるかで、別の文字になるものもあります。
これは包摂じゃないの? おかしくない? と思うけど、出版社が文句を言ったりする」
「渡辺の『辺』なんか24種類もある。なんでこんなに? おかしくない?
戸籍を書くとき、走り書きする人がいたんです。昔は『楷書でちゃんと書いて』という指示もありませんでした。
そうすると、上の部分が『白』になったり『自』になったりする。こだわらない人もいるけど、こだわる人はすごくこだわる。
それがそのまま引き継がれることになってしまった」
「誰もが読める文字を目指すのが明朝体なのに……」
●タイポスのことなど。
「タイポスという書体は、4人のグループが作ったものです。漢字も作られたんですが、写研では仮名のみが採用された。
ユニバースのファミリーに似ています。静的な書体。ヨコ線とタテ線の太さを変えることで、イメージも変えていく。
これが『窓ぎわのトットちゃん』の本文に使われたんです。
明朝体でのものしかなかった小説の本文がタイポスで組まれた、これはすごく衝撃的でした」
「かつては全て筆で書いていたが、コンピュータが導入される。
イカルスシステムというもので、日本全国の新聞社に導入された。なぜかものみの塔にも。
太い書体と細い書体を作ると、間のものがいっぱい出てくる。Illustratorのブレンディングと同じような感じですね」
●書体を作る仕事に入るきっかけ。
「学生のころ、グラフィックデザインなんて公害に加担するものだ、くらいに思ってたんです(笑)。
何をしていいのかわからなかった」
「毎日新聞に見学に行ったんです。文字を書く現場。
文字のもとになる原字をサインペンで書いているのを見て、初めて『活字って人が作ってるの?』って思ったんです。
それまではただ漠然と、掘ったら出てくる、みたいに思っていたんです。山形の地面を掘ったら出てくる鏃(やじり)みたいにね(笑)。
ショックを受けて、気持ちがぐっときた」
「そこにいた小塚昌彦さん……小塚明朝とか小塚ゴシックを作った人ですけど、その人の『文字は水であり米である』という言葉を聞いて。
僕にとっての庄内平野。日本人にとってなくてはならないもの。
そのとき、やりたい! と思ったんです」
「活字、主張しない文字、そういうデザインの仕事があるのかと知ったとき、この仕事をしたいと思ったんです。
文字を作る会社があることさえ知らなかった。もちろん、写研も知らなかった。でも、絶対に入れると思ってました。
落とされても入るつもりでした。別にタダでもいいんだって。
だって、これだけ文字が好きだったら入れてくれるだろうって。すんごい強気だった(笑)」
「そういえば、大学に入る時も強気でしたね。
道具の名前も知らなかったんだけど、これだけ好きだったら入れてくれるだろうって。
ところが、入れてくれなかったんですけど……(笑)」
「面接は、石井裕子社長じきじきに。他に部長とか3人いて。
満員電車で大きなパネルを持って行ったのに、見てもらえないまま面接が終わりそうになって、見てくださいと言ったら『じゃあ見るわよ』って言われて、見せたら、石井社長はひと言『下手ね』。
見せなきゃよかった……(笑)」
「当時の写研は、800人くらい。うち、文字を作る人は30~40人くらい。他は、営業とか写植機を作る人などです。
10年いたけれど、一度も給料が下がったことがない。ずっと上がりっぱなし。そのくらい業績が良かったんですね」
●写研の書体のこと。
「写研で一番有名な書体『石井明朝』。当時の雑誌の7割くらいはこれでした」
「使われるきっかけになったのは、石井茂吉さんが、大修館の『大漢和辞典』を完成させたことで名を馳せた。
当時、世界で一番登録文字数が多い漢和辞典だったんです。中国のものより多かった。今は中国が逆転して一番になりましたけど。
戦前、金属活字で第1巻が作られたんですが、空襲で活字が焼けてしまって、第2巻以降が作れない状況になったのを、写植で作った。
石井さんは、これに3年を費やしました」
「石井明朝は、雑誌には多く使われたんですが、単行本や文庫本には使われなかった。細い、弱い、読みづらいと言われ、金属活字の方がいいとされていました。
そこで作られたのが本蘭明朝。橋本和夫さんが中心となって。
字面が大きいのが特徴。好き嫌いが分かれる書体ですけど。筑摩文庫に使われています」
●字游工房の初代社長、鈴木勉さん。
字游工房の初代社長、鈴木勉さんの写真がスクリーンに。
ウィキペディアによると本蘭明朝の作成時にチーフをされていたそうなので、そこからの流れでしょうか。
(特に説明はありませんでしたけど)
「字游工房の初代社長、鈴木さんです。
スーボ、スーシャを作った人です。スーボの『ス』は鈴木の『ス』。スーボは、タイプフェイスコンテスト第2回の第一席をとってます。
スーボって可愛い書体じゃないですか。でも、作ったのはこんな人ですよ。ヤクザでしょ(笑)。
でも、すごい優しい人。飲みに行ったらいつも払ってくれて、魚を7尾頼んだら、そのうち4尾をくれる。そんな人。
ずーっと一緒に飲みに行ってて。あるとき『鈴木さん、(写研を)やめようよー』って言ったら、『やめても、おまえとは一緒にやらん』と言われたんですけど。
なぜかというと、2人ともお金関係が全然ダメだった。そこで、片田(啓一)さんを誘って、3人で会社を作りました」
●写研の書体のこと。
ルリールという書体。
「当時、女の子の丸文字が注目されていました。『変体少女文字』なんて呼ばれたりして。
で、写研で『丸ゴシックコンテスト』というのをやって、1位と2位の文字は書体化したんですけど。
石井裕子社長がたまたま美容院で見た雑誌の中に、おニャン子クラブの永田ルリ子さんが書いた字があって、それを商品化。これが一番売れた。
やっぱりすごい人ではあるんです」
写研では、文字のデザインは、紙ではなく、全てフィルムに書いていたとか。
すごい量のフィルムが消費されていたそうです。
フィルムの上の文字を、彫刻刀のようなアートナイフのようなもの(名称がよくわかんない……)でスパっと削ったりするそうです。そのほうが、ペンや筆などで引くよりも、素早く真っ直ぐな線を作ることができるのだとか。
実際の書体の制作の際には、たとえば「識」のヘンと「什」のツクリを合体させて「計」をいう文字を作ったりします。
ただし、そのまま貼りあわせてもバランスが悪いため、先述のナイフでスパっと切って、伸び縮みさせたりといった調整は不可欠。
といったあたりで、休憩に。
後半はいよいよ本題の「明朝体」の話に移っていきます。
(後半へ続く)